▶▶【無料】銀座のママを辞め人生を再スタートした話

プロフィール第6章 アクセサリーショップオープン、そして母の死

プロフィール第6話 母の旅立ち

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ここまでたどり着いていただき

ありがとうございます!

もう少しだけ、お付き合いね。

第5章では、

離婚をして、打ちひしがれている麻子に

早くも好きな人が現れ……

戸惑いながらも付き合うことに。

そして子供を宿すも、

わずか9週で流産してしまいます。

 

全貌はこちら

 

 

 

目次

ネットショップ をオープン !

妊娠をあきらめた私は

女友達にすすめられ、

フェイスブックを始めた。

同級生や、店のお客さん

色々な人と繋がることができ

楽しくなった。

以前から趣味で作っていた

ブレスレットの写真を投稿すると

色々な人が「いいね」をくれた。

それが楽しくて、

次々にブレスレットを作るようになる。

写真にも凝りだした。

そんなある日

「素敵なブレスレットですね☆

 是非、売って頂けませんか?」

と知らない女性からコメントが。

すぐに、友人の友人だと分かり

その時はプレゼントしました。

Fukuzatu Mary ブレスレット
製作&撮影:上原麻子

その後、何度も

ブレスレットをオーダーしてもらったり

お友達を紹介してもらったり

今では、お互い家に遊びに行く仲に。

急にやる気になった私は

その勢いで

ネットショップオープンしてしまいます。

(今はインスタグラムでやっています)

コンセプトは?

デザインは?

ウェブサイトは?

写真は?

ラッピングは?

ブランド名は?

急に大忙しになりました。

流産で無気力になっていた私が

楽しそうにしているのを見て

彼もやさしくサポートしてくれました。

最初はお金をできるだけかけずにやろうと

全て自分でやりました。

デザイン、ブレスレット製作、買い付け、

ホームページ作成、写真撮影、経理などなど

ぜーんぶ。

写真撮影のモデルさんは

友人の娘さんにお願いしました。

たくさん注文が来たらどうしよう!

とわくわくでした。

Facebookで告知し

なんとかオープンしました。

しかし、全く注文が入りません。

広告もせずにお客さんが集まるわけ

ないのに……(笑)

しかし、フェイスブックからは直接注文が

チラホラ入り始めたのです。

癌の再発

数年経ったある日

母の検診に付いていったとき、

癌の再発が見つかりました。

母は72才でした。

実は5年前に1度再発し、

今回は2度目の再発でした。

初回から12年経っていました。

前回までの2回とも

放射線治療で完治していたのです。

でもその放射線の副作用で

母の肺はかなりダメージを受けていたのです。

話をする医師

母は再発を告げられてすぐ、

「先生、もう治療はいいです。

 もう苦しいのはいいです」

そして先生も

「そうだね、もういいでしょ」

はたから聞いたら

何てひどいこと言うのかしら?

と思ってしまいそうですが。

母の肺はもう放射線には耐えられないし

体力的に手術もむずかしいと。

先生の言葉は

とても優しく聞こえました。

そして母も

「ええ、もう十分です」

と。

母は在宅療養を望みました。

自宅での療養がはじまります。

いろいろな手続きをして

近所のかかりつけのお医者さんを決めます。

介護認定申請書

介護などのサポートをうけるために

要介護認定の判定をうけます。

そのランクにより受けられる

サービスが違ってくるのです。

病人なのに、

やたらとやることがいっぱいあるのです。

母はあまり出歩けないくらいになっていたので

身内の誰かがやらなければいけません。

妹は子供が二人いて毎日忙しく、

弟はサラリーマンなので仕事があり、

結局、時間の融通が利く私が

色々と動くことになります。

これ、一人っ子だったら大変だ、と思いました。

それどころか子供がいないとなると、

わたしは……どなるんだろう?

とても不安になりました。

(この辺のことは、

 改めて記事で書こうと思います)

介護認定をもらうとき、

一つでもランクが上になれば

長い時間サービスがうけられるようになります。

ですが、

ケアマネさんとの面接の時

なぜか、一人でなんでもできる風に

振る舞ってしまう母がいて(笑)

つい、人前では大丈夫なように

見せようとしまうものなんだなと

へんに納得したり。

でも、ケアマネさんが帰ったとたん

何もできなくなる……みたいな。

これって、たぶん介護あるあるですね。

初めは

母はできるだけ

なんでも自分でやるようにしていました。

買い物も自転車に乗れば

なんとか行くことができましたし。

公園のベンチに座る高齢女性

でも、次第に筋力が衰え、

息があがるようになり

(肺がだいぶ弱っていたので)

すぐに疲れるようになると

ほとんど家から出なくなりました。

暑さの厳しい夏が来て、

ゴミ捨てにも出られなくなりました。

私は1時間半かけて

都内から神奈川県の川崎まで

ほとんど毎日通いました。

この時、頼りになったのが

弟のお嫁さんです。

ちょくちょく

「今日は私いきますよ」

って連絡してきてくれました。

義理の母親の面倒を

嫌な顔ひとつ見せずに

面倒見てくれるなんて

いまどき、そんなお嫁さんなかなかいません。

本当にありがたかったです。

別に母の家に行っても

たいしたことをするわけでもないのに

移動と、病人に会うというだけで

なんだかどっと疲れるのです。

その時はそんな風に思ってたわけではないけど、

慢性的な疲労がぬけないような状態でした。

母との時間

そのうちひとりで起きられなくなり

病院に入院することになりました。

そこからはあっという間でした。

入院してたった1週間でした。

ほとんど苦しまずに

息を引き取りました

73歳でした。

46歳で父を亡くして以来、働き続けた27年間。

3人の子供を育てて

ものすごく苦労したことでしょう。

そんな母の人生を思うと

たまらないものがありました。

介護士と高齢女性のフェルト人形

でも最期に

母とたくさん話をして

ゆっくりと過ごせた時間は

わたしにとって宝物になりました。

不思議と

死んだことが悲しいとか

いなくなって寂しいとか

そうゆう感覚はありませんでした。

どちらかというと

「お疲れさま」

という方がしっくりきます。

なので、最後のお別れの時

「本当にお疲れさまでした。

 ゆっくり休んでね

 むこうでお父さんと仲良くね」

と声をかけました。

ここまでお読み下さり

ありがとうございます。

いよいよ最終章です。

最終章は……

やっと出会った最愛の彼との別れ

そして、10年を経て銀座に復帰

新たなステージを目指して歩き出す……

という展開です。

最後までお付き合いいただければ

幸いでございます。

では最終章お楽しみ下さい。

 

全貌はこちら

 

 

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