プロフィール第1話 突然の父の死、そして19歳で銀座デビュー

いきなりシリアスなタイトルで

失礼いたします……(^^;)

こんにちは。

ブログオーナーの麻子です。

プロフィールを

気軽に読んでいただけるように

ストーリー調で書いてみました。

全プロフィール一覧を

用意いたしましたので

興味のあるところから

読んで頂ければと思います。

全プロフィール目次一覧

では、第1話をお楽しみ下さい。

父の死

父が死んだ。

「お父さん! お父さんっ!!」

母の声が病室にひびく。

わたしたちはただ、立ち尽くしていた。

2日前の夜

「肩が痛い」

と父が言い出した。

汗をかくほど痛がる父を見て

ただ事ではないと不安になる。

家族で救急病院に行くことに。

静かな病院の廊下

診察室に入り、しばらくすると

母とわたしたちきょうだいも呼ばれる。

父の姿はすでにそこにはない。

他の部屋で検査を受けているらしい。

医師から父は

心筋梗塞だと告げられる。

すぐに手術が必要だとも。

以前にも1度発作があったらしい。

そんなこと、

父から1度も聞いたことがなかった。

「手術が必要ならお願いします」

と母が言う。

わたしたち子供は手術さえすれば

大丈夫だと信じて疑わなかった。

わたしの父に対するイメージは

「車にはねられても、死なない人」

九州男児で、

大学時代に柔道をやっていて、

筋肉質で体がとても大きな人で

小さな頃は、車にぶつかったら

車の方が凹んでしまうと

本気で思っていたくらい。

翌朝、手術室に入る直前

父と言葉を交わすことができた。

「手術するのもひとつの方法たい」

そう言って

手術室に入っていった。

それが、父から聞いた最後の言葉になった。

今思うと

父は強がっていたのだと思う。

わたしたちに心配かけまいと

たいしたことないと

自分自身にも、言い聞かせるために。

数時間後、

「手術は成功しました」

と医師は言った。

しばらくすれば麻酔から覚めると。

薄暗い病院の廊下で

弟はゲームをし、妹は本を読み

母とわたしは黙って座っていた。

病院の廊下で緊急搬送される担架

数人の看護師がバタバタと病室に入り、

父を運ぼうとしていた。

わたしたちもついていくと

そこはガラス張りになっていて

重々しい雰囲気が漂っていた。

「ICU」と書かれている。

集中治療室だった。

「容態が急変しました。

 非常に危険な状態です」

と担当医から告げられる。

ICUの中で

父は何本ものチューブに繋がれ

眠っている。

それでもわたしたちは目が覚めることを

少しも疑っていなかった。

だが、予想を裏切り、その時は突然訪れた。

父は死んだ。

本当にあっけなく、悲しむ間もなく。

父 享年52

母45歳、妹16歳、弟12歳

わたしが18歳の時だった。

お嬢様から一変して

この後のことはよく覚えていない。

母親が泣き崩れ、

わたしたち子供は泣きもせず

ただ立ち尽くしていただけだった。

妹弟とわたしだけになった時、

「これからは3人で

お母さんを支えていこう」

みたいなことを言ったのは

なぜかはっきり覚えている。

仏壇の前のお線香

父は会社を経営していたので、

葬儀など死後の手続きについては、

会社の人がすべて取り仕切ってくれた。

その頃のわたしは勉強が大嫌いだった。

俳優を志していたのだが、

唯一受験した

桐朋学園大学の演劇科には落ちたばかりだった。

高校卒業後、これからどうしようかと

考えていた時期だったが、

進路は何も決まっていなかった。

父の会社は

これからやっと軌道に乗る

という時だったようだ。

父の死の直後に知ったのだが、

父にはかなりの負債があった。

そして父はなんと、

生命保険に入っていなかった。

わたしたち家族は

財産を放棄せざるを得なかった。

重要な書類に捺印

その時はまだ、その重大さを

わたしはわかっていなかった。

しかし、そのことでその後、

母はとても苦労し

父を死ぬまで恨むことになる。

わたしたちは田園調布にある

100平米超えの

高級賃貸マンションに住んでいた。

危機を察知した長女のわたしは

毎日泣いてばかりの母に提案した。

「すぐに狭い所に引っ越そう。

 このままじゃ家が破産するよ! 

 早く引っ越そう」

けっきょく

目蒲線沿線の

ふた間に小さなキッチンだけの

1階部分に焼肉屋の入った

アパートに引っ越すことができた。

アパートの狭いキッチン

母と妹、弟を見て

わたしは

“わたしがしっかりしなくちゃ”

と思っていた。

引っ越してすぐ

わたしは近所でいちばん時給がよさそうな

喫茶店にバイトの面接に行き

次の日からフルタイムで働くことにした。

はたから見れば

わたしは”お嬢様”だった。

高校時代はアルバイト禁止。

働く事はまったくの初めてだった。

一瞬にして、生活が一変した。

喫茶店が定休日の日曜日は

お弁当屋さんでアルバイトをした。

バイト代はすべて家に入れた。

わたしが働かなくちゃ”

という必死な気持ちしかなかった。

父の双子の姉

そして、数カ月が経ち

19歳になった頃

お弁当屋さんでバイトをしていると

父の双子の姉である伯母が

とつぜん訪ねてきた。

伯母「麻子ちゃん?

 あなたのお父さんの双子の姉の美佐子です」

わたし「・・・?」

父と伯母は絶縁状態にあった。

わたしは伯母に一度も会ったことがなかった。

というか、

父に双子の姉がいることすら知らなかった。

父親の双子の姉……。

なんのこっちゃ。

伯母が何を言ってるのか

はじめは全く意味がわからなかった。

伯母は銀座でお店を経営しているという。

昼はカレー屋

夜はパブ

バーの棚にボトルが並んでいる

食事ができてゆっくりお酒が飲める

レトロなイメージの店で

ウイスキーのボトルキープができて

当時バブル真っ最中だったこともあり

かなり繁盛しているという。

伯母は父の訃報を聞いて

母に会いに来たらしい。

そこで、わたしが家のために

毎日休みなく働いている

という話を聞いたのだ。

それで伯母は

わざわざ弁当屋までわたしに会いにきた。

元気にお弁当屋で働いているわたしを見て、

「絶対うちの店で働いてもらおうと思った」

伯母は後になってそう話してくれた。

”さすが銀座”ということなのか、

時給も喫茶店とは雲泥の差だった。

断る理由なんてひとつもない。

昼はカレー屋さんのウエイトレス、

夜はパブのお運びとして働く事になった。

しかも!

母もランチタイムだけ

働かせて貰えることになった。

わたしは実はそのことが

いちばん嬉しかった。

結婚以来、働いたことのない母が

身内の店で安心して働けるということが。

伯母はさらにこうも言ってくれた。

「麻子ちゃんは

お芝居がやりたいんでしょう?

学校に通いなさい。

学費はわたしが出してあげるから」

会ったこともない父の双子の姉が

ある日突然やって来て、

わたしに学費を出してくれるという。

こんな映画のような、うまい話が

本当にあるのだろうかと思った。

伯母には子供がいなかった。

伯母の夫は数年前に他界し

とても孤独だったのだろう。

「麻子ちゃんは

 わたしの子供のようなものだから」

父と伯母がなぜ絶縁にまで至ったのか、

わたしは知らない。

だが、その時の伯母はわたしにとても優しく

父と絶縁していたことを

後悔しているようだった。

かくして、

わたしは銀座で働くことになったのだ——。

これが

わたしの銀座デビューです。

あれ? 銀座って言っても

ただのウエイトレスじゃないか。

そう思った方もいらっしゃるでしょう。

たしかに初めはそうでした。

でもご安心下さい!

だんだん“銀座感”が出てきます(笑)

第2話

バブル崩壊の時代の流れに逆らえず

伯母の店が閉店することになります。

わたしは役者をやりながら

本格的に”銀座デビュー”を果たすことに。

是非、第2話もご覧下さい。

 

 

【プロフィール全7話】

0話 はじめまして 全プロフィール一覧—    

1話 突然の父の死、そして19歳で銀座デビュー    →イマココ!

2話 伯母の店の閉店、そして新しい銀座の店へ   ★★オススメ

3話 母の癌、そして麻子30歳で結婚

4話 33歳銀座でママになる!引退そして離婚

5話 やっと出会えた運命の人、そして妊娠、流産

6話 アクセサリーショップオープン、そして母の死

最終話 最愛の人との別れ、そして再出発    ★★オススメ

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