そうなのよね、ついこないだのような、もっと前のことのような不思議な感じ。
わたし、パパちゃんとママちゃんがいなくなったら生きていけないよぉ
マダム麻子:元銀座の高級バーのマダム。当サイトの管理人。なぜか2つ年下の倫子のことを「倫子先輩」と呼ぶ。
倫子先輩:麻子の元部下であり親友、マダムなき後、銀座の店を切り盛りしている。自分はマダムじゃない!と言い張っている。(周りはマダムと思っている)なぜか麻子のことを「マダミ」(マダムが変換されたもの)と呼んでいる。
麻子が10年経って銀座に復活することができたのも、倫子先輩が一役買っている。(詳しくは*プロフィールで)
母が亡くなる3日前に言い出したこと
本日9月7日は母の命日なので
ちょっと母のこと書いてみようと思います。
といっても、暗い話ではなく
ちょっと不思議な話になってるので
最後までお付き合い下さいね。
母が亡くなったのはわたしが46歳の時。
初めての胸腺癌発病から17年目、
3度目の再発をしたとき
もう辛い治療を乗り越える自信がないと
母は治療を拒否。
亡くなる7日前まで自宅で過ごしました。
家庭にある酸素吸入だけでは苦しくなり
近くの病院に入院することに。
亡くなる5日前
母は幻覚を見るようになった。
病院の天井を見て、
「カーテンがゆらゆらしてキレイなのよ」
と言っていたので、
認知症かと思っていると……
その夜、トイレに立とうとした時に
ふらついて転び、頭を打撲。
亡くなる4日前に
念のために脳のMRIを受けると
癌が脳に転移していた。
それが幻覚の原因だった。
なくなる3日前
突然、銀行通帳と印鑑の置き場所と
それぞれの暗証番号を話してきた。
普通の話のように。
わたしも、「わかった」と
普段の話のように答えました。
そして、苦しいから早く死にたいとも。
息が苦しいって本当に辛いのだ。
わたしは、気分を変えようと
「お父さん、きっと首長くして待ってるね」
と言ったら……
「お父さんとお墓別にしてね」
「え?別にしたいの?」
心の中では
『えーーーーー?嘘でしょ?』
と叫んでいました。
「そんなにイヤなの?」
って聞くと。
「もう苦労かけられるのはたくさん」
って。
「そっかぁ」としか返せませんでした。
父が亡くなってもうすぐ30回忌を
迎えようとしているのに。
「お墓はどうしたいの?」
「散骨がいい」
「どこの海に?」
「やっぱり樹木葬がいい」
と言われ、さすがに笑ってしまったけど、
お父さんと別ならどこでもいいのだと
その時理解しました。
その後、弟と妹に話すと
2人とも笑って、
「母ちゃんらしいね」だって。
「じゃあ、お墓考えないとね」
とその時は、3日後に亡くなるとは
知らず、のんきに考えていたのです。
母の亡くなった日
早朝に病院から
意識レベルが低下しているので
病院に来て欲しいと連絡が入り。
身支度だけして家をでる。
さすがに心臓がバクバクして落ち着かない。
自分がいちばん病院からの距離があり
駆け付けたときは
母はすでに息をひきとっていた。
妹は泣き腫らした目をしていた。
母に会いに行くと
優しい顔をして眠っているようだった
とっさに思った言葉は
「よく頑張ったね。お疲れ様」
だった。
そして母の人生を思い少し泣いた。
しばしお別れをした後
私「どうするお墓?」
弟「樹木葬だっけ?」
といい、3人でスマホで検索し始める。
そして偶然見つけたお寺さんのサイト
とても雰囲気がよかった。
妹と弟の住まいに程近い場所で
樹木葬の墓地がお寺の敷地内にあり、
法事もお願いできるという。
そして何より、
ここから10分!!
看護師さんがやってきて
これからご遺体をきれいににするので
少々お待ちいただきますと。
2〜3時間で死後硬直がはじまるので
その前に胃の内容物や尿や便を排泄して
遺体を形成し整えなくてはいけないのだ。
この処置をエンゼルケアという言うらしい。
2時間ほどかかるとのこと。
その間、外に出てきますと告げ
きょうだい3人と弟のお嫁さんで
弟の車に乗り込みそのお寺さんへ。
本当に10分ほどで到着。
高台にありとても閑静なお寺さんだった。
車を降り、周りを歩いてみると
樹木葬の墓地らしき場所にたどり着いた。
きれいな芝生の上に観音菩薩様を中心に
その周りに墓石らしき直径20センチほどの
円形の御影石が点在していた。
生けられたばかりの百合の花が咲き
まるで観音様に見守られているような風景だった。
「いいじゃない、ここ」
と言うと、弟も妹も頷いた。
なんともいい空気がながれていた。
「ここでいい」じゃなく「ここがいい」
と本心から思えた。
まるで神さまのお導きのよう。
あれ、お寺さんで神さまは変か(笑)
で、すぐに住職を訪ねた。
樹木葬というだけあって、
檀家であるなし、宗派も全く問わないということ。
最近はこのようなお墓が増えているらしい。
また、その住職が若いのに魅力的で優しく
長いお付き合いをしたいと思える方だった。
もう運命としか思えなかった。
私もここに入ろうかなとさえ思ったくらい。
そして母が亡くなって1時間後に
素敵なお墓を決めることができた。
その住職に法要もお願いすることにした。
弟のお嫁さんはその時のことが
そうとう印象的だったらしく、
あのときの3人の団結力と行動力に
本当に驚いたと、お墓参りに行く度
話題にしている。
その樹木葬のお墓の管理は葬儀屋さんが
やっているということで、葬儀屋も決定。
値段交渉は営業のプロの弟に任せ
病院から紹介される葬儀屋さんは
丁寧にお断りし事無きを得ました。
母の死から3年経って思う事
今考えると、とても不思議な体験だったなと思います。
天国の父がそうしてくれたような。
あんなに短時間でスムーズにうまく行くことは
なかなかないような……
ただのラッキーだけでは片づけられない
ような気がしてなりません。
普通は何も考えられない状態だと思うし
病院と癒着した葬儀社を紹介され
促されるまま葬儀までの決められてしまいます。
交渉が仕事である弟はやっていましたが
身内を亡くしたときに値段交渉なんて
普通はできません。
納得もできず、でもどうすることも
できないまま葬儀を終えたりします。
まして、当日にお墓を決めるなんて。
いくら死期を待つ病気であっても
亡くなるときは突然なのです。
自分にも同じようなラッキーがあるとは
全く思えないですし……
わたしはこれを機に終活の勉強して、
このブログでシェアしようと思いました。
何を考えて、決めておくのがいいのか。
身内の死に目に合うときは
だいたい初めてなのです。
だから、色々と考えておく必要があるなと。
終活ってタイミングがむずかしいですし。
自分のことだけでなく、親御さんのことも
考えるきっかけにもなればいいなと。
まず、わたそが代わりにやってみます(笑)
なので楽しみにしておいてください。
今回は、私的なことを書きましたが、
この話をブログで書けて
なんだか気持ちがスッキリしました。
父も母もきっと天国で笑っていると思います。
最期までお読みいただき
ありがとうございました。
〝人生詰んだ〟わたしが変わることができた動画
闘病していた母を亡くし、大切な人と別れ
たった一人きりになり、孤独と絶望で
これからが不安でしょうがなかった。
〝人生詰んだかも〟っと思ったとき
わたくしマダム麻子は47歳でした。
そんな時、後輩に
引きずり出されるように誘われて
「これ見て下さい!」
と言われて渡されたURL。
それはあるスクールのお試し動画でした。
その中には渡されなければ
一生知ることのない世界がありました。
いつのまにか、不安が消え
前向きになっている自分がいました。
そのURLは〝人生詰んだ47歳独身女〟
のわたしを見事に変えてくれたのです。
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